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合言葉は「変体がな」

ではなく「時代がな」。

「時代がなひろめ隊」は、現在一般的に「変体がな」と呼ばれ、ネーミングの悪さもあって学ぶ人のごく少ない「歴史的な別字体ひらがな」を新たに「時代がな」と名付けなおし、その識字率を少しでもあげるべく旗揚げした、文化系の任意団体です。

万葉の昔から受け継がれてきた時代がなを「国の文化遺産」である「第二ひらがな」と位置づけ、生涯学習のひとつのジャンルとして独自イベント/講座を開催、幅広い世代に学びのチャンスを提供。

その他にも日々の啓発活動を通じて、ひとりでも多くの方に『生きた歴史』に触れる楽しさ、読める、わかる喜びを伝えていきたいと考えています。​

大蘇芳年「見立多以尽(みたてたいづくし)」より「とりけしたい」

そもそも変体仮名という呼び名が不適切な理由。

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下図のようにひとつご本尊があって、
そこからだんだん派生していくからこその
​『変体・異体』ではないのか?

はじめにおことわり。上記のイメージ図はあくまでももののたとえなので、学術的には不適切な図解になっているかもしれません。なにとぞご承知おきください。

そもそも個人的に思うに、例えば「さいとうさん」や「わたなべさん」の名字の漢字にさまざまなバリエーションがあるように、時の流れの中で人と人との間で書き写されてきていろんな文字が「派生」していった――生物進化と同じような流れがあってこその​「変体(異体)」呼ばわりだと思うのです。

トップページでもご紹介したように、

ひとつの音に対して複数の文字があった昔ながらの「ひらがな」が「一音一文字」に統一されたのは、明治も後半になってから(明治33年=西暦1900年)。

​それまでは図の教科書にもあるとおり、ひらがなも現行のものとは異なる複数の文字が教えられていました。

統一の背景には「初等教育の普通化・義務化」「識字率の向上」さらには「欧米文明に追い付け追い越せ」「近い将来名実ともにアジアの盟主となった際の属国への日本語教育のしやすさ」などの理由があったと思います。

つまり、明治の半ばまでひろく使われ、親しまれてきた多様性あふれるむかしながらのひらがなには、こうして政府によって一方的に統制され、日本語の歴史から疎外されてきた過去があるのです。

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黄色い○の字がいまのひらがなと異なります。とくに四行目と六行目、同じ音である「ず」の文字がちがっていることに注目!

個人的に強く思うのは、現行の日本の「むかしのひらがな」の「変体・異体」呼ばわりは、歴史をさかのぼって無理やり行われた、文字の本当の意味とはかけはなれた不適切な使用法だということ。

さらに言えば、教育現場においても読みかた以前に存在そのものすらほぼ教えないひどい扱いは、あたかも先住民をもとの住処から追放し、その存在そのものさえをも隠匿・異端視してきたかつての歴史を思わせます。

ある意味、後世のためにさまざまな文書を遺してくれた先人の想いへの冒涜であり、次世代へ継承されるべきわが国固有の文化の継承をさまたげるものと言わざるを得ません。

だからこそ、もっと親しみやすく、誰にでも学びのチャンスを持てるような存在にしたいと考え、『時代がな』というあたらしい呼称を提言しています。

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旺文社 古語辞典 /新訂版(昭和52年版第8刷)より抜粋

さらに言えば、現行ひらがなも「くずし字」の一種。

活字を使った出版物に使う楷書体に対して、早く書くために生まれた書体が行書体(くずし度中)・草書体(くずし度高)。一般的には戦前までの書き文字に見られるような、続け字(連綿という)で読みにくいものを「くずし字」と言い習わし、古文書解読の越えるべき壁として認識されています。
しかしながら、実は現代人の筆記の中にも、一部書き文字でのくずし字は残っています。<例: 卒業の「卒」の上部を九と書く、点という字の下部の点4つ(れんが)を「大」で代用する、「第」の字の草書体など>ですから、まったくすたれてしまっているわけではありません。

さらには、現行のひらがな、たとえば「は」という字ももとをたどれば「波」という字を母字にした草書体の「くずし字」。すべての現行のひらがなも、ルーツをたどれば実は全部くずし字なのです。

この章最後に申しあげたいのは、「変体」「異体」「くずし」という表現に通底する、なんとも嫌な感じの「異端視推奨・仲間はずれ推奨」のニュアンスは、多様性を尊重する今世紀に似つかわしくない、ということ。定義そのものが破綻している「くずし字」についても、できれば早急に呼称の再考がはかられるべきだと考えます。

このごろでは戦後の国語改革で決められた、いわゆる「新漢字」を「正しい字=正字体」とし、上代から戦前まで使われてきた「旧漢字」までをも「変体」「異体」と位置付ける方もおられるようですが、一部漢字好きな人を除けば「旧漢字」は書けなくとも読めればOKの世界なので「異体」のレッテル貼りで排斥したりせず、むしろ全世代で積極的に触れる機会を増やし、読む訓練をすべきだと思います。でないと明治大正の文豪の名前さえ、書籍の活字が「森 “ 鴎”外」「芥川 “竜” 之介」でOKということになりかねないからです。

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